アルコール依存症の父親を持つ息子の綴り

アルコール依存症の父の日常と家族の苦悩を記録として残します。父が亡くなるまでの全記録と、その後の思いを綴っています。

父親を刺殺した事件におもうこと

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アルコール依存症

息子が父親を刺殺するという事件がありました。酔った父親と弟の口論の間に入り、感情的になってナイフで刺したという事件。

 

同じ日に同様の事件がありました。両親のけんかの間に入り、力ではかなわないと思い包丁で刺したという事件。

 

私はこの事件を聞いて他人事ではないと思いました。事件を起こした彼らの立場はまさに過去の私だったからです。私はたまたま父親を刺さずに済んだだけです。

 

状況的にも同じようなことがありました。

 

アルコール依存症だった父。実家には弟家族が遊びに来ていました。子どもがまだ小さかったときのことです。父はなにを思ったのか、ふいに弟の子どもの頭だけを両手で掴み、そのまま持ち上げたのです。

 

「ほら、東京タワーを見せてやる」

 

さすがに弟は怒りました。父はとうぜん逆切れです。

 

「父親に向ってその態度はなんだ!そんなにいやなら帰れ!二度とくるんじゃない!」

 

非常識なのはあきらかに父です。子どもの頭だけをもって持ち上げるだなんて。でも正常な思考回路でない父にはその非常識さが理解できないのです。なにがよくてなにが悪いのかの判断さえつかない。

 

帰ろうとしている弟につきまとい、いつまでもぐちぐちと文句を言います。わたしはぶち切れ父を押し倒しました。不意打ちをくらった形になった父はソファにひっくり返ります。ソファにひっくり返ったのは私の理性がギリギリ残っていたからでしょう。

 

驚いた父のあの顔は今でも目に焼きついています。当然、父は反発してきましたが、そのころは私の方が力が強かったので押さえつけました。

 

その後、父親と話し合いになりました。最後にはお互いに涙を流しながら話を終えました。そして、父はこういったのです。

 

「いい話ができて、よかった。おい、母さん、一杯くれ」

 

なんと酒を要求したのです。いったいなにを考えているのやら。さすがに私はあきれてしまいました。

 

また別の日には我を忘れて父を殴ったことがあります。なにを言っても話が通じない父。どうしようもない怒り。逃れられない血。

 

あれほど我を忘れて人を殴ったことは後にも先にもありません。翌日、あまりに手が痛くて両手をみると、私の両手の平は真っ黒でした。内出血していたのです。

 

私の近くにナイフがあれば、ひょっとして刺していたかもしれません。たまたま事件にならなかったというだけの話です。

 

今日の事件の彼らはたまたま包丁やナイフを持ち出してしまっただけのこと。それまで蓄積された深い闇がたまたまそうさせてしまったのでしょう。他人には決してわからない血の繋がったもの同士の深い闇というのは存在するのです。

 

もちろんなにがあっても人の命を奪うことなど許されないことです。でもね、じゃあどうしたらよかったんでしょうか?どうすれば家族は救えたのでしょうか?

 

私の父は頭を強く打って亡くなりました。常に酔っている状態だったので、足元がフラフラでした。あやまって転んでしまったのでしょう。自殺したようなものです。正直いって、父の死はありがたかったです。これで終わりだ。そう思いました。

 

私には終わりがきたから、事件にまでは発展しなかった。あの地獄が延々と続いていたらどうだったでしょう。事件を起こした彼らと同じ立場になっていたとしても不思議ではありません。

 

彼らは家族を守りたかっただけなのではないでしょうか。あんな父親のために自らの人生を台無しにしてしまった彼らのことを思うとなんともやりきれないのです。