アルコール依存症の父親を持つ息子の綴り

アルコール依存症の父の日常と家族の苦悩を記録として残します。父が亡くなるまでの全記録と、その後の思いを綴っています。

夏の憂鬱。思い出す悪夢

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アルコール依存症

 《過去記事》隠れて飲むビールの味 2010年5月26日

以下は過去記事になります。2009年の今頃書いたものでしょうか?

 

先日、隠れてビールを飲みました。私がです。そのビールはわざわざ買ったものではなく貰い物です。いろいろと自分の事で一段落したので飲もうと思いました。父が退院してから、私が家で飲むのは初めてのことです。仕事の付き合いで外で飲むことはありましたが、それもほとんど断っていました。

 

父に見つかるわけにはいきませんから、自分の部屋でこっそりと飲みます。部屋の外で足音が聞こえると慌ててビールを隠します。部屋の外に出るときには、アルコール臭くならないように息を止めます。そうやって飲むビールは、、、美味しいはずがありません。飲み終えてから、もう二度と家では飲まないだろうと思いました。

 

父もこうやって必死で隠れて飲んでいたのだと思います。父にとっては隠れて飲む酒でも美味しいと感じたのでしょうか?家族の事が頭をよぎらなかったのでしょうか?アルコール依存症だから、そんなことは関係なく強制的に飲酒という行動をとってしまっているのでしょうか?

 

普通の人間ならこんなことをしてまで飲みたいとは思わないはずです。これがアルコール依存症者と普通の人の違いなのだと思いました。けれど、私はアルコール依存症になったことがないので、依存症者の気持ちはわかりません。反対に父はアルコール依存症を持つ家族にはなったことがないので、家族の気持ちはわからないだろうと思います。

 

お互いに理解し合えた気にはなっても、本当に理解できる日は来ないのかもしれません。アルコール依存症者は死ぬまでアルコール依存症者なのです。普通の人になることはできません。

 

また、アルコール依存症者の家族は死ぬまでアルコール依存症者の家族なのです。その苦しみから逃れることはできません。

お互いに死ぬまでアルコールと闘わなければいけないのです。

 

死んでもアル中 2010年06月05日

前回記事の「アルコール依存症者は死ぬまでアルコール依存症者」を訂正したいと思います。アルコール依存症者は死ぬまでアルコール依存症者は間違いで、アルコール依存症者は死んでもアルコール依存症者だと思うのです。

 

もちろん、回復の道にのった場合とのれなかった場合とでは重みが違うと思うのですが…。父の場合は結局、回復の道にはのれませんでした。いや、のろうとはしませんでした。

 

そしてアルコールが原因で亡くなりました。だから、私の中では父は今でもアルコール依存症者なんです。だから、今でもこうやってブログを更新しているわけですし、テレビでアルコール依存の特集があれば気になって観ます。

 

亡くなった今でも決して人に言うことはできません。他人には言えない病気です。きっと私自身、この病気に巻き込まれたままだと思います。アルコール依存症は遺伝するなんていうことをよく聞きますが、そうならないように気持ちをしっかり持ちたいと思います。

 

夏の憂鬱 2010年8月13日

初盆を迎えます。両親が亡くなってから半年。このブログをはじめてから3年が経ちます。

 

3年前のちょうど今頃、盆の暑い時期でした。酒に支配された父をどうするか?毎日悩んでいました。真夜中に酒に狂った父から逃げるように母とふたりで家を飛び出したこともありました。

 

気が重い毎日が続き、藁をもつかむ思いで断酒会に参加しました。そこから、アルコール専門病院に繋がることができました。結局は家族の努力が実を結ぶことはありませんでしたが、父の性格からすれば、この結末しかなかったのかもしれません。

 

冷たい言い方ですが、父が命を落としたことによって家族は救われました。もうひとつ家族が救われる道は、断酒を続けることしかないように思います。

 

中途半端な気持ちは一生、家族を苦しめ続けると思います。家族も酒も手に入ることなんてことはあり得ません。

 

今年のお盆は特に色々なことを考えてしまいます。お盆の空気感がいやおうなく過去の事を思い出させます。そして、とても辛く憂鬱な気持ちにさせます。

 

お金と余裕度 2010年8月29日

専門病院へ入院させるには当然お金が必要になります。高額医療の申請をすれば、8万円程度で済みますが、それ以外にも何かと必要になります。

 

病院内で使うおこずかいが月2万円。そのおこずかいを病院が管理するので、その管理費として月3000円。自治会費、交通費、雑費…等々。

 

入院している間はもちろん働くことはできませんし、父の場合は年金を貰える年でもありませんでしたので、収入はゼロです。

 

断酒会に参加している方は比較的お金の面では余裕があった方が多かったと思います。私の場合も私の収入でなんとかなりました。お金の余裕が気持ちの余裕に繋がっている部分はあると思います。

 

あとはやはり時間の余裕でしょうか。家族会にはできるだけ参加しなければいけませんから、仕事をしている人は大変だと思います。お金や時間の調整が大変でも、家族からすれば、入院しておいてもらった方が余程楽なのです。

 

想定生活 2010年9月05日

父が生きていれば、今頃どういう生活をしていたのでしょうか?きっと私は実家を離れていたと思います。

 

だとすれば、父はひとりでの生活。自分で料理をする人ではありませんでしたから、毎日、コンビニ弁当だったのでしょうか。多分、車のカギは取り上げていたと思うので、毎日、歩いて弁当を買いに行くことになったのでしょう。

 

通帳と印鑑を預けることもできないでしょうから、父に気付かれないように、定期的にお金を置きに行くことになったでしょう。止める人がいなければ、24時間飲んでいたでしょうから、そのお金の殆どは酒代に消えていたかもしれません。

 

人は酒だけでは生きていけないでしょうから、やはり「死」という道しかなかったのだと思います。

 

途中で父が助けを求めてくれば、今頃はまだ父と一緒に断酒会に通い、仕事を早く切り上げては、父が入院している病院の家族会に参加していたのかもしれません。

 

そして断酒と飲酒の繰り返しで、日々悩み、苦しみ、苛立ちや焦りと戦っていたことでしょう。

 

母と一緒だったからこそ、このような生活にも耐えられてきました。母が亡くなった今では、このような生活には耐えられず、私自身が潰れていたような気がします。