アルコール依存症の父親を持つ息子の綴り

アルコール依存症の父の日常と家族の苦悩を記録として残します。父が亡くなるまでの全記録と、その後の思いを綴っています。

父も母も状態は次第に悪化

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アルコール依存症

病は気から 2009年12月1日

先ほど、弟が来てくれました。「兄さん、調子はどう?」という話から、両親の話まで。わたしの方はだいぶ良くなってきました。が、ぎっくり腰は、完治まで少なくとも1週間はかかるらしいので、明日までは安静にすることにしています。

 

病院に行くことを勧められるのですが、立ちあがると痛みが増しますし、安静にしているのが何よりかなと思い病院には行っていません。母の話は、

 

「入院しなくてもいいって言う話をした頃から、元気になってきたよね。」

 

というような話をしました。今後、腹水を抜く回数が増え通院が大変だろうから先生から入院を勧められたという話を弟がし、緊急的に入院をした方がいいという話ではないことを母が知ると、安心したのか以前よりは元気を取り戻した感じなのです。まさに病は気からだなと思いました。

 

食べた物を戻すことはあるものの、一応は食べれているようです。問題なのは、父の事で…。段々と悪化しているらしいということを聞かされました。この話はまた書きたいと思います。

 

飲酒運転…か? 2009年12月2日

弟が父に私が動けないことを話すと、ニヤリとし、「バカな奴だ。ざまあみろ。」と言ったそうです。そのまま返してやりたい言葉です。

 

そんな父は、最近は昼間でも飲むようになったようです。その日は、夕方からの仕事にもかかわらず、昼間から飲みだそうとしたので、母が、

 

「今日は2勤でしょ。仕事前に飲んだらダメ。」

 

というと、

 

「バカ。出かけるまでまだ2時間半もあるじゃないか。関係あるか。大丈夫だ。」

 

と言い放ったそうです。完全に飲酒運転で捕まります。その日飲んだのかどうかは定かではありませんが…。すでに昼も夜も関係なく飲むようになったようです。

 

問題なのは飲酒運転になること。これは絶対に見逃すわけにはいきません。とはいうものの、私がいない時を見計らって飲むわけで…。

 

飲んで運転した場合、家族自ら警察に通報し、捕まえてもらうのも手かな?と思っています。でも、飲んでいることがわかってて運転させたとなると、やはり家族も罪になるのでしょうか?

 

普通の生活がいい 2009年12月3日

今週は母は体調が良いようです。私が昨日になってようやく歩けるようになったので、タクシーで病院へ行こうとしたら、

 

「私が連れて行ってあげる。車くらい運転できるから。」

 

と病院に付き添ってくれました。

 

「世話をする人(私のことです)がいるから、気が張って調子いいんじゃない?」

 

と私は冗談半分に言ってみたのですが、案外冗談でもないのかもしれません。病人扱いすれば、本人もそんな気分になるでしょうし、体力を奪わない程度の役割はあった方がいいのかもしれません。

 

私も実感したのですが、1日中布団の中でテレビを見ているだけの生活も疲れるものです。テレビを消して外を眺めていれば、余計な事を考えてしまいますし。

 

母を入院させないという選択肢は正しかったのかもしれません。温泉に行きたいとも言っていたので、年内には近くの温泉にでも連れて行ってあげようと思います。

 

隠すという方法 2009年12月6日

今の父は飲酒運転を平気でする可能性があります。なので、冷蔵庫に入れているアルコールは全て隠すことにしました。今の父のパターンは、

 

  1. 仕事帰りにコンビニでアルコールを買って帰る。
  2. 家に帰りすぐ飲む。飲みきれなかった場合は、冷蔵庫に保管。
  3. 夜もしくは昼間に冷蔵庫にあるアルコールを飲む。
  4. 数時間後に車で運転。

 

夜中もしくは昼間にわざわざアルコールを買いに行くという事は今のところありませんから、冷蔵庫になければ諦める(?)と思います。

 

よく考えれば、昼間の飲酒だけでなく、夜中(2:00頃)に飲んで朝出かければ、
それも立派な飲酒運転になりますよね?アルコールを諦めきれず、自分で買いに行くようになったら、また別の手を考えたいと思います。甘いかもしれませんが、現実的にはこのような方法を取らざるを得ません。

 

母、入院の意思 2009年12月7日

「今週、病院に行ったら、入院させて貰えるようにお願いしようと思う。吐き気止め飲んでも全然効かないし、体力的にも限界かも…。」

 

と母に言われました。こういう話になると私はいつも言葉に詰まります。「大丈夫。」なんて無責任なことは言えないし、何を言っても慰めにならないような気がするからです。母が望んで入院したいというのなら、そうさせたいと思います。

 

「正月前には帰れるよね?」

 

母の望みが叶うかは…わかりません。

 

「お父さんのことは何もしなくていいって言ったけど、朝、御飯だけは炊いてあげてくれる?ご飯さえあれば、後は自分で何とかするでしょ。」

 

多分、入院することになると思います。その間、父と二人だけの生活になりますが、今はそんなことよりも、母のことが心配でなりません。

 

父は今日もビールを飲んで寝ています。今日は休みだから、いつもより多くのビールが冷蔵庫にあります。

 

言葉 2009年12月08日

母の病院の日は毎週木曜日なのですが、どうにも吐き気が止まらないので、今日、病院へ行くそうです。入院できそうなら、そのまま入院してもいいと思っています。家にいても何もしてあげられることがありませんから…。

 

少しの量でも食べれば吐き気を催すことを繰り返していれば全く栄養分を撮れないことになります。そうなれば、益々体力的にもきつくなっていくことでしょう。母の事を直視できません。痩せ細った手や顔を見ていること、それだけで涙が出そうになります。

 

母に「大丈夫。」という言葉をかけたことは一度もありません。そんな無責任な言葉をかけられないのです。大丈夫ではないことは母が一番よくわかっていると思います。

 

「頑張って。」という言葉もかけることができません。今でも十分に頑張っているし、もうこれ以上…。最近では、「無事に年を越せればいいな。」と思うようになりました。

 

母の存在 2009年12月11日

母は昨日、おとついと病院へ行き、普通の点滴をしてもらったら吐き気も治まったようで調子がいいようです。調子がよくない時は抗癌剤の点滴はしないほうがいいからともう3週間近くガンの治療はしていないようです。11月に入った時点で抗癌剤の治療はやめてもいいと言われていたので、もう効果は得られないのでしょう。

 

今はいわゆる緩和ケアという状態でしょうか。吐き気の原因は胃と十二指腸の間の管が細くなっているのでは?ということで昨日、胃カメラを飲んだようです。この数日間の病院への送り迎えは父がしてくれているらしく、その点では助かっています。

 

また、祖母を買い物や病院へ連れて行ったり等も父が行ってくれているようです。それくらい誰の目から見ても母の状態はよくないのです。祖母も母が家に顔を出さないことを心配しているようです。祖母に電話をしても、

 

「本当に家から電話をしているの?入院しているんじゃないの?あなたのことが心配でご飯も喉を通らない…。」

 

と泣きながら話をするそうです。祖母の涙を見たことは、祖父が亡くなった時だけ。そんな祖母が涙を流すくらいですから…。母がどんなに頼りにされている存在かが今になってようやくわかったような気がします。